オーストラリアに住む!ワーホリ・留学・海外生活をリアルに語る

ワーホリを経て、現在オーストラリアに永住となった、リアルな海外生活をご紹介していきます。ワーホリ時代からの日常生活をご紹介していますので、コロナにも負けず、近い将来ワーホリ・留学を目指す方々へ、少しでもリアルな日常をお届けでき、参考にしていただければ幸いです。

オーストラリア生活は洪水被害から~バンダバーグでのファーム生活~

それにしても・・・暑かったですね。

 

日本と季節が真逆のオーストラリア。1月は連日30℃超の真夏です。しかもクイーンズランドは雨季なので、ジメジメした暑さ。極寒の日本の田舎から出てきた僕にとっては、慣れるまで大変でした。

 

後でわかったことですが、この時期のバンダバーグはほとんど仕事がないです。その農家が何を作っているかにもよりますが、クイーンズランドの農家のほとんどは、この雨季はホリデーにして、だいたい3~4月くらいから仕事を開始し、乾季となる(冬となる)7~9月頃に収穫期を迎えます。

 

冬といっても、ケアンズは特にそうですが、全然寒くないです。夜に少し冷えるくらいで、日中でも全然25℃以上です。

 

これがシドニーとかメルボルンまで行くと、この冬の時期は10℃前後と、コートがないと寒いです。

 

さらにタスマニアとなると、夏でも涼しく過ごせます。たぶん30℃いかないんじゃないかな。(南極に近いから?)

 

まぁでも、とりあえずこの地に慣れるために、いろいろ散歩したり、食料調達したり、近くの図書館で勉強したりと、のんびり過ごしていたのですよ。

 

が、しかし、到着してから3日後くらいに、ものすごい嵐に遭遇。外に出れば命はないってくらい、すごい風と雨でしたね。あんなのは初めてでした。

 

これが3日間くらい続いて、ようやく晴天に恵まれ、散歩しようと外へ出たのですが・・・外の光景に目を疑いました。

 

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バックパッカーズの裏玄関付近

外、出られへんやん。。。

 

それでも歩ける道を探して、30分位歩いて帰ってきたのですが、この30分でとうとう部屋にまで水が迫ってくる勢い。

 

満潮の時期と重なり、どんどん水位が上昇。

 

ここで、その被害の様子を以下の写真で公開します。

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まるで映画の撮影シーンかってくらい、どうしようもないですね。

これが本当のロックダウンですよ。

 

僕たちが住んでいた部屋は、完全に水没

 

とうとうバックパッカー全体も水没寸前まできましたので、被害のない3ブロック先くらいの市民センターへ全員避難。

 

オーストラリア(バンダバーグ)に来てから、わずか1週間でこれですよ。

 

僕のオーストラリアのワーホリ生活は、自然災害の洗礼からスタートです。

 

どうもこうも、この被害は過去最大級の洪水被害のようでした。

当時のオーストラリア首相(ギラードさん)も、テレビ中継と一緒に訪問に来たくらい。

 

まったく外へ出られないので、ヘリで救援物資(食料品など)が届けられてました。

 

そして、普段日本でテレビで見るだけでしたが、まさか自分が体育館で毛布で雑魚寝をすることになるとは。。

 

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結構毛布は用意されていました。でもこの真夏の時期なので、みんな下に敷いて、体にはかけないで寝る人が多かったですね。

でもすごかったですね。バックパッカーで自分で生活しているより、はるかに快適に過ごせていたと思います。

 

きちんと3食+10時のおやつまで出るし、ちゃんとお湯の出る簡易シャワーもあるし、(バックパッカーのはお湯が出ないんですよ・・・)

近くの映画館は、みんな暑くて大変だろうからって、冷房を効かせたシアターを開放してくれました。(何回か無料で映画も上映してくれました。)

 

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市民センター前。木がなぎ倒されている。

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救援物資が届けられたり、ボランティアの方々が色々と寄付してくださっています。

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支給された朝ごはん

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10時のおやつ

思った以上に快適に過ごせていたのですが、いつまでもここにいるわけにはいきません。

 

ワーホリはある意味時間との勝負。1年なんて、あっという間に過ぎてしまいます。

 

避難所生活10日目くらいで、施設にも無料WiFiが入りました。

 

これで飛行機の予約ができる!

 

ファームが終わった後の残り半年はシドニーに行くつもりでした。

 

オーストラリアの中心ともいえるシドニー。ここにくれば、オーストラリアでのリアル生活がいちばん理解できると思ったもので。。いちばん栄えている都市に行けば、その国の何ぞやがわかりやすいし、何より便利。

 

2000年オリンピックも、シドニーでしたしね。

 

かなり早い段階ではありましたが、資金のあるうちにシドニー行を決意。

 

バックパッカーでの滞在費も、住まない分についてはしっかり返金頂きました。

 

2週間でだいぶ水位が下がってきて、ようやく外へ出られる状態になりました。

 

そこで知り合った日本人の方々が、車でメルボルンへ行くというので、途中まで載せていってもらうことにしました。

(バンダバーグからだと、たぶん3日くらいかかるんじゃないかな・・・)

 

ゴールドコーストまで乗せていってもらい、そこから飛行機でシドニーへ。

 

当たり前ですが、セカンドワーホリの労働日数はまったく消化できないまま、シドニーに来ることになってしまったのです。

 

ただ、今のままバンダバーグに残っていても何もできないので、(当たり前ですが、こんな状態で仕事などあるはずもない)だったら、次のステップへ進むほうがよいでしょう。

 

ファームは、またあとで考えることにしよう。

 

何とかなるっしょ。とりあえず、何かやろう。